自分が詩や文章を書いている意味はある意味単純で、そうせずにはいられないからだ。
人生には様々な落とし穴があり、言いたいことがあっても、大人の社会では、不用意な発言は命取りになる。
ハラスメントとか個人情報とかコンプライアンスとかやたらうるさい現代において、発言することそのものがリスクになっていて、相手に感謝や好意や善意を伝えたくても慎重にならざるをえないご時世だ。それらのことは私にとってだけでなく、現代に生きるみんなにとってたぶんストレスになっていて、何も話さないことがベターなだけでなくベストになっている感もある。
生きている中で耐え難い制限やストレスがあって、それを社会の中で受け入れられる形で爆発させたものが僕の場合は小説だ。限界状況の中で紡ぎ出されたものぐらいしか人のこころを打つものなんてなくて、それが読んだ人のこころの襞にも永く引っかかってゆくのだろう。炸裂するようなモヤモヤや怒りが現代には充満していて、そういった現状に対して私も大人として何らかの形で責任を取っていきたい。