夢・光・音

日々の生活の中で生まれてくる想いや感情を詩や文章などで吐き出そうと思います

祈り

ボチボチの気持ちの土曜日の午前。

おはようございます。starttodayです。

昨日の夜、友達とサラリーマンのことや眉村卓の小説のことを話していた。

サラリーマンという人種の悲哀や葛藤や絶望というのがテーマで、中々盛り上がった。

私も何社かで、それなりの期間、サラリーマンをやったことがあるので、実体験や観察も含めて、サラリーマンというものをそれなりに知っているとも言えると思う。

どう思っているか、というとそれは、子供の頃感じていたように、そんなにいいものではないということだ。個人の意志なんかあんまり尊重されず、組織の思惑に翻弄されて、こころが干からびて、すり減っていく。毎日満員電車に揺られて、同質の人とばかり関わって、気晴らしは酒かタバコかキャバクラかギャンブルかゴルフ。健康的な趣味だとしてもスポーツやアウトドアや芸術鑑賞など、社会の思惑通り。

若くて、目が輝いていた人も年を取って、組織に順応していくとハリのない胡乱な目付きになっていく。失わないというのはすごく難しい。その組織にずっといたら、純粋さを保つことは無理かもしれない。

若い人を見ていて、言葉には出さないけれど、祈るような気持ちで、今持っているものをなくさないでほしいなと思っていることがよくある。失っているか、保てているかはそれなりの期間接していれば、大体わかるので、保てている人には、「今持っている、いいものをなくさないでほしいな」と思いながら、接している。一見見た目が綺麗で、ハツラツとしている人でもフタを開けてみると、魂が干からびていたり、こころが貧しい人も多いから、大人で保てている人を見ると自然と期待してしまうし、祈りたくなる。「そのまままっすぐに生きていってくれますように」と。

自分はたぶん保てているのだと思う。いろんな遍歴と試練と偶然の結果、なぜか今でも保てているのだと思う。保つってことの難しさも自分なりに知っているつもりだ。それでもやっぱり若い人には保ってほしいなと思う。そうじゃないと自分の人生じゃなくて、誰か(社会)にとって都合のいい人生になってしまうから。あの真っ直ぐに見つめてくる潤いに満ちた、純粋で輝いた眼差しが30年後も50年後も翳っていませんように。