夢・光・音

日々の生活の中で生まれてくる想いや感情を詩や文章などで吐き出そうと思います

35歳の戯言

レディオヘッドを聴いている。憂鬱なメロディーと歌声にこころが洗われるようだ。

社会に余裕がない、と感じる。それはコロナウィルスが問題になる、ずっと前からそうだ。

いつもみんな忙しくて、困っている人の話を立ち止まって、聞く余裕なんてない。そして、社会からアブれた人は時間をもて余し、疎外感を感じている。

人が人を監視し、繰り広げられるコミュニケーションはお互いを損ない合う、バッド・コミュニケーションも多い。テレビではタレントがいつもながらの偽りの微笑み。誰も場にそぐわない本音は言わず、予定調和の司会進行。

真面目に考えるには問題は深刻過ぎるから、と言わんばかりの風潮。生きる意味を考えることや誰かを愛することより、相手に背を向けて、テレビやスマホから流れる動画を見ている方が疲れないから。自分と向き合うことから逃げられるから。

とにかくみんな忙し過ぎるんだ。朝から晩まで、ノルマに追い立てられて、疲れていたら、誰かを思いやっている余裕なんてない。暇がなかったら、本なんて読まないし、音楽も聴かないし、映画も観ない。そうやって、こころが枯渇していく。栄養不足になっていく。目に見えるものしか見えなくなって、こころのキャンバスが色褪せてゆく。そうやって、疲れた空っぽの大人になってゆく。現実的なことしか見えてなくて、振りかざすのは金と権力と正論と虚栄心。そうやって若者との溝は深まってゆく。

そんなことを考えながら、私はショッピングモールの中のベンチに座り、虚ろに世界を眺めている。