身体は快調だけど、少し憂鬱だ。深刻に思っているわけじゃないけれど、少し嫌われている気がする。確かめようがないし、こういう時案外思い違いのことも多いけれど、今自分がそういう風に思っているということには意味があるんだと思う。
自分は他人(ひと)に嫌われても、しょうがない部分がある。相手の気持ちを無視した話し方をするし、相手の言葉を遮ることもある。無口だし、何を考えているのかわからないとよく言われる。
他人(ひと)に求めすぎなのかもしれない。自分の「言葉」はきちんと伝わっているのだろうか?無視され、軽く扱われているのではないだろうか?怒りを買い、憎悪の対象になっているかもしれない。
祈るように言葉を紡いでいる部分がある。人間は悪でもあるし、善でもある。人をとことん傷つけ、貶めることもあれば、尊重し、癒すこともある。とことん非情で残酷でもあれば、どんなことでも赦し、愛すこともある。世界は天国でもあるし、地獄でもある。一秒の中に永遠があり、底無し沼のような虚無もある。人生は悲劇でも喜劇でもある。どちらであるかはその時々で変わり、確かめようがない。
永遠に未来のことはわからなくて、一歩踏み出すのはいつだって恐い。サイコロの目は止まるまで何が出るかわからない。だから、祈るように紡ぐのだ。呪いというのが無力でないように、その同じ分だけ祈りが通じるということを僕は知っているから。