夢・光・音

日々の生活の中で生まれてくる想いや感情を詩や文章などで吐き出そうと思います

私は私だ。

あまり考えずに書こう。

 

私は私だからだ。

 

現代において、生活は空虚で、リア充と呼ばれている人も本当は虚しさを抱えているだろう。どうしようもない孤独感が住居を支配し、こころまで蝕んでいく現実は地域に関わらず、先進国では当たり前に見られる現象だろう。

 

極端な事はそれが善意から為されることであれ、誤解される元だから、皆慎んでいる。ネットニュースやSNSでは悪意のある情報が蔓延していて、その影響下からはどんなに知性的な人であれ、逃れることはできない。

 

すれ違いや誤解が元で、人間関係は修復できなくなっているから、愛想笑いとは対照的に互いに無関心だ。

 

街ではどこかから叫び声や下品な高笑いが聴こえ、私達はそれにも慣れてしまった。Z世代にとっては礼儀や謙遜も古いものなのだろうか?

 

作家というのは世界をポジティブに捉えようとする仕事ではなくて、現実が悲惨なものであれ、正確に捉え、その上で偽物じゃない希望を見出だせる人のことた。気休めじゃどうにもならない現実が鎮座していて、私はそこから逃げることは許されていない。

 

戦う相手が見えてきた気がする。頑張る!

書を捨てよ、町へ出よう

寺山修司だったか、誰かの名言で、「書を捨てよ、町へ出よう」というものがある。

 

昔はそんなに好きな言葉ではなかったが、ご時世もあって、その言葉は沁みる。

 

外に出たり、街に出たり、職場に行ったりすると、疲れるし、傷つくこともある。家にいれば、刺激は少ないし、安全な自分の空間にいられる。

 

そういう選択をしている人も現代では多いだろう。スマホで動画を見たり、籠もってゲームをしていれば、お金もあまりかからないし、面倒臭い人間関係にも煩わされないで済む。

 

外に出れば危険だし、アクシデントに遭遇することもある。現代において、発言することはリスクだし、非難されることもある。

 

それでも私はやはり外に出たいし、人と関わりたいし、何かを言いたい。口にガムテープを貼られたとしても、それでも私は私が思っていることを言いたい!

源泉

原稿を書き進めている。

 

丁度いいペースだ。小説を書くことは長期戦だから、マイペースを崩さずに。3年後位の出版を目処に。

 

もちろん一番は自分の為にやっているけれど、きっと待っている読者もいる。小説って一時(いっとき)の逃げ場になるんだと思う。仕事や育児やその時々の人生の試練から、少しだけ違う視点に立って、生き返らせてくれる。それが小説だと思う。

 

避難所である文学や芸術への需要はもしかしたら日増しに上がっているのかもしれない。それぐらい現代には潤いが欠けている気がする。

 

そういう意味で作家は源泉でなければならないのかもしれない。何気ない事に気づけたり、さりげない優しさに感謝できたり、失敗を恐れずに挑戦できる人間でありたい。そして、何よりも人を愛していたい。

時代に責任を負う

日々悩んでいるけれど、とりあえず前には進んでいる。反面教師になってしまう大人も多いけれど、自問自答して、内省して日々生きている。相手の気持ちを察するというのは本当に難しくて、読み違えたり、バツが悪くなったりしながら、コミュニケーションすることをまだ諦めてはいない。

 

コミュケーションにおいて規制が厳しくなっていて、人間が互いに監視し合い、自粛警察し合う、ような様相を呈している部分もあるけれど、時代に即した対応をしていくべきところと空気を読まずに率直に言うべきところはあると思うので、そこはしっかりと判断して、言うべきところでは萎縮せずに言っていきたい。

 

どんなに社会の外面を取り繕って、スタイリッシュで綺麗に作っても、人間や人間の感情は複雑で、時に醜悪であるはずだ。ルールや規制をどんなに強化しても、時にそれはさらに人間の感情を抑圧し、歪め、陰湿に、嫉妬深くする気がする。

 

現代においていろいろなことがありながらも、絶妙のバランス感覚の中で本当の文学を創造していきたい。

自分が書いている意味

自分が詩や文章を書いている意味はある意味単純で、そうせずにはいられないからだ。

 

人生には様々な落とし穴があり、言いたいことがあっても、大人の社会では、不用意な発言は命取りになる。

 

ハラスメントとか個人情報とかコンプライアンスとかやたらうるさい現代において、発言することそのものがリスクになっていて、相手に感謝や好意や善意を伝えたくても慎重にならざるをえないご時世だ。それらのことは私にとってだけでなく、現代に生きるみんなにとってたぶんストレスになっていて、何も話さないことがベターなだけでなくベストになっている感もある。

 

生きている中で耐え難い制限やストレスがあって、それを社会の中で受け入れられる形で爆発させたものが僕の場合は小説だ。限界状況の中で紡ぎ出されたものぐらいしか人のこころを打つものなんてなくて、それが読んだ人のこころの襞にも永く引っかかってゆくのだろう。炸裂するようなモヤモヤや怒りが現代には充満していて、そういった現状に対して私も大人として何らかの形で責任を取っていきたい。

書くことによって救われるだろうか?

原稿を徐々に書き進めている。

 

原稿を書くというのは人生と同じで、新たな自分に出逢っていく旅みたいだ。実際には過去にあった実体験を元に書いているのだけれど、自分にとってもそれらのことを書くことは新鮮で、新たなものに出逢っていく旅みたいな気がする。

 

私は書くことで経験を何度も反芻することができているので、幸運(ラッキー)だと思うし、書くことで何かを乗り越えられたこともたくさんある。辛かった事や自分の中で整理がついていない事も書くことで収拾がついて、納得できるようになることもある。

 

私にとって書くことは仕事でもあり、同時に精神衛生の為にも欠かせない必須事項だ。

やっぱり求道者でいたい

良い意味で日々悩んではいる。傷ついたり、自分の認識の甘さに気づいたりして、落ち込むことはある。ただ日々やらなきゃいけないことには穴を空けなくなった。やらかしてしまうことも度々あるけれど、フォローやリカバリーがうまくなったので、大崩れはしなくなった。

 

やっぱり日々不安もあるし、生きづらい時代だけれど、チャレンジやアクションはしていきたいし、時にはリスクも取っていきたい。

 

自分の本当の言葉を待望している人もいると思うから、日常や創作において、気を抜かず、ブラッシュアップしていきたい。