夢・光・音

日々の生活の中で生まれてくる想いや感情を詩や文章などで吐き出そうと思います

風を読む

今日は風が強い。身体も少し疲れている。だから、気楽に書こう。

 

今日は驚くほどの強風で、電車も遅れ気味だ。木々は揺れ、街ではビル風が吹き抜ける。一瞬今自分はどこにいるのかわからなくなるような錯覚に襲われて、日々人はどれだけのことに囚われているかを不思議だけれど、痛感させられる。

 

論理や常識を勘案しても、抑えがたい衝動があって、それがエネルギーであり、パワーだ。怒りの一撃や稲妻(フラッシュ)のような激震が時に社会には必要だし、現在(いま)の時代はそれを求めている気がする。

 

本当の意味でのパラダイムシフトが必要だし、それはすでに始まっている気がする。だから、私も本当の意味でのポジティブな変化を促進させるようなものを書いていきたい。要するに、一撃を加えていきたい。

道を求める

今日は小説で深刻なパートを書いたので、気楽に書こう。

 

人間人それぞれでそれはいろんな人と出逢ったり、いろいろな経験をしていなかったら、わからなかったことだ。

 

本を読んだり、部屋に籠もって考えているだけでは思いつかなかったアイデアが外の世界には無数にある。

 

そして、本当にすごい人とは見た目や容姿や肩書きや表面的な能力とかそういう話ではなくもっと深みがあって、醸し出てくるものだ。言わば匂い(色気)のようなものだ。それをオーラと呼ぶのかもしれない。

 

世間体や表面というものにほとんど意味がないということも最近ではわかってきてしまった。そして、人生でやるべきことは求道であるということにも迷いがなくなってきた。だから、あとは、道を求めるだけだ。

どうで死ぬ身の一踊り

久しぶりに1日に2本目の記事を書く。書かずにはいられない何かがあるからだ。

 

どこかで書いたかもしれないけれど、私が文章を書く一番の理由は高尚なものを創造したいや社会の役に立ちたいなどではなく、ただ単に書かないと精神を保てないからだ。周りに迷惑をかけることになるかもしれないし、自らを殺すことになるかもしれないから、苦肉の策で始めた部分もある。それが始まりで、今も続いているけれど、本質的な問題が解決したわけではない。生きづらさだ。

 

そして、そういった生きづらさは障害などがある私固有のものかと若い時は思っていたが、実際はいつの時代も普遍的にあるものだし、そして同時に今の時代の人々が共有する固有の病でもあると思う。

 

最近至る所で耳にするサイレンは実際には身体的な外傷や内臓系の疾患に対処する為に救急車が向かっていたりするのだろうけれど、私には現代人のこころのSOSに感じる。とにかくみんな虚しくて、渇いている。それはリア充と呼ばれている人もそうだ。飾り立てれば立てるほど空虚で、それを埋めてくれるものは本当の意味ではあまりない。生活は豊かで便利になったはずなのに、こころは痩せていくばかりだ。「死にたい」なんて言葉もよく耳にする。きっと本当のコミュニケーションが減ったからだ。

 

西村賢太って作家がそうだったように、私もそろそろ自分を守ってばかりいずに、捨て身で「漢」になっていきたい。

徐々に見えてきた

昨日定期的に行く出版社に行って、編集者と話をした。書き始めた小説は序盤で、テーマを模索しているところだが、徐々に戦う相手が見えてきた気もする。編集者はもうすぐ定年で時代感覚を共有できていないからこそ、彼にそこまで見えてなくても、自分には痛切に感じるものがあるなぁと思った。

 

上の世代からすれば、自分達やその下の世代は恵まれているということにはなるだろう。世界的に見ても日本は平和で恵まれているということにはなるだろう。でも、生きてきて、21世紀の日本で生活していて、感じることや耳にすることはそんなにポジティブではないと思う。

 

体面を装っても、そこはかとない底知れない絶望感があって、精神的には救命病棟24時みたいに絶えずナースコールが鳴っている。それが日本の現実だと思う。教育も綻びを誤魔化しきれなくなってきていて、中でも愛情の問題は深刻だ。

 

世界規模で今までの世界の在り方を疑問視する声が上がり、テクノロジーの進化やIT革命は人類の幸福には必ずしも繋がらなかったようだ。紛争や分断はますます広がっている気がするし、みんなどこか諦めムードだ。それが自分なりに解釈する現代の空気感だ。

 

現代の問題を真正面から捉えて、救いの物語を提示していきたい。

 

 

聴くとか見るとか感じるとか

こんにちは!

 

お疲れ様です。

 

最近考えていることはその人が世界に見ているのはその人自身の反映でしかないということだ。

 

曇った眼鏡で見ていたら、どんな景色も汚れて見えるし、その人の美的感覚が貧しかったら、くだらないものを素晴らしいと崇め立てるようになる。

 

今の世界は情報が多すぎて、うるさすぎて、みんな平静じゃいられない。だから、こんな時こそ自分はこころを静めて、こころの声や本当の音を聴いていきたい。本当のことというのは感覚を研ぎ澄ませていれば、自ずと見えてくるはずだから。

伝わる言葉

言葉というものを発する時に独り言でもない限りは伝えるということは一番の目的だろう。伝える為にはどうやったら伝わるかということを考える必要があるだろう。

 

ただ意外だけれど、人に何かを伝える時に意図したようには伝わらないけれど、それ以上に本当のことが伝わっているということは多いと思う。だから、細かいこととか小手先のことにはこだわらずに、長い目で見て、本当のことが伝わっていけばいいと思っている。

 

誤解されることや嫌われることがあったとしても、こちらがドンと構えていたり、正直に誠実にしていれば、やがて本当のことが伝わっていく気がする。それに人間関係では相手側の問題も半分位はあるのだから、必要以上にクヨクヨするべきではないのかもしれない。

 

時に不安になったり、臆病になったりもするけれど、自分の道を信じて、これからも歩んでいきたい。

本当の言葉は通ると信じている

本当に言わない文化というのはクソだと思う。みんな思っているのに言わないというのは本当にヒドいことだと思う。それは今や子供や若者に対してすらそうだ。

 

本当はみんな思っているのに誰も言ってあげない。トラブルや面倒臭い目に会いたくないからだ。それじゃ人間は育たない。自分は今までいろいろな人に言われてきたから、育てたと思う。

 

風潮がそうなっている。社会の仕組みがそうしている。誰も厄介な目には遭いたくない。でも、自分は言っていくつもりだ。