夢・光・音

日々の生活の中で生まれてくる想いや感情を詩や文章などで吐き出そうと思います

コヘレトの言葉

今日は朝から、微妙にうなされ、嫌な目覚めとなりました。職場での苦手な人間関係やそのことについてカウンセリングで分析されたことが原因でしょう。

気を取り直して、散歩したり、自分の本を読みました。自分の本は意外にバランスが取れていて、ある物事や状況に対して、その利点とデメリットが客観的に書かれているという側面があり、自分のことでもあるので、現状に対して冷静になれ、励まされました。

それからは教育テレビのこころの時代、旧約聖書・コヘレトの言葉を視聴しました。職場での人間関係や自分の作品が思ったように評価されないことに悩んでいるという私の今の悩みが何千年前にも通じる普遍的な悩みだということがわかり、腑に落ちました。

流行を捉えることやこの世で成功することの空しさについても書かれていました。そう言われても、やはり成功したいけれど、それもまた空しいということもどこかでわかっています。

自分の歩む道の先に何があるかはあまり考えずに、自分の道を誠実にひたむきに歩んでいきたいです。

東京

こんにちは。starttodayです。

さて、最近ある人のブログを見させてもらって、東京の街(渋谷、目黒、丸の内)を振り返る機会がありました。

誰でもそうでしょうが、東京の街にはいろいろな思い出があります。飲み会で騒いだこと、あてもなく歩いたこと、女の子と遊んだこと、振られて別れたこと。

不思議と今では苦い思い出も微笑ましい思い出になっています。それは今がある程度充実しているし、後悔があまりないからだと思います。

その時は胸を刺すような体験も、今では成長の過程では避けては通れないことだったとわかっています。場を弁えない発言や嘲笑や反感を買った言動も若気の至りだったのだ、と。

33歳というのは「過去」と「未来」のどちらもがある年齢だと思います。無理しなくなったけど、諦めたくはないです。「真理」に向かって、これからも頑張りたいです!

実現可能性

こんにちは。

在宅勤務2日目が終わった、starttodayです。

普段と違う日常もたまにはいいですね。リラックスして、仕事をしています。

心身共に大人になって、社会とか人間というものがどういったものかということに対するメタ認知が進み、自分の個性や資質、資源を踏まえた上でどのように生きていけばいいのか、どう生きたいかということが若い頃より明確になってきました。

本当にやりたいことは何か?について、考えが深まってきました。いろんなタイプの価値観や人間性とも出くわしてきました。様々な芸術様式、個性の発現の仕方、メッセージ…。人間や芸術の多様性や奥深さを感じています。

自分の内側にあるものが今後、どう展開し、花開き、結実していくのか?それはどんな形を取るのか?楽しみです。それが将来の自分の豊かさを示すものであれば、嬉しいです。

funeral for a friend

こんにちは。

昨日とうって変わって、気持ちいい青空と日射しに包まれた日曜日。皆様はいかがお過ごしですか?

私はボチボチです。コーヒーを飲みながら、昔よく聴いていた音楽の動画を見ていました。

四年前に惜しまれながら、解散した彼らの音楽は今聴いても色褪せてないです。2000年代初頭からミュージックシーンの一角を担った、funeral for a friendというバンドはその頃新たに台頭してきた、エモ、スクリーモと呼ばれるジャンルの中で、代表的なバンドとして日本でも名を知られる存在となりました。

ただ爆発的なヒットや大幅にメジャーになるということはなく、知る人ぞ知るというか、一部では熱心に聴かれ続けましたが、リンキン・パークグリーン・デイのように大幅に脚光を浴びることはその後ありませんでした。

ただ私は彼らが好きです。最も影響を受けたバンドと聞かれたら、たぶん彼らの名が挙がると思います。聴く毎に味わい深くなる歌詞、繊細でほろ苦くダークな世界観、ボーカルの澄んだ真っ直ぐな歌声。

解散して、3年経った、昨年行われた、funeral for a friendのファンだった子供の手術費を捻出するためのチャリティーコンサートで往年のヒット曲をファンの圧倒的な合唱と共に元気に歌い上げる姿に、彼らの音楽の中に色褪せないものを感じているのは、私だけじゃないのだなと思いました。

今日はそんな彼らの元気な最近の姿を確認できた、ちょっと幸せな日曜日になりました。

曇り時々雨

こんにちは。

お疲れ様です。

お互いコロナウィルス対策の自粛でストレスが溜まったり、気分が落ち込む毎日ですね。いかがお過ごしでしょうか?

そんな時に私は泣きっ面に蜂とでも言えばいいでしょうか、職場の人と少し揉めてしまい、落ち込んでいます。しょうがなかった気もするし、振り返ってみても、自分に落ち度はあまりなかったかなと自分では思っています。相手の言い分もわかるような気もするけど、そんなに完璧を求められてもなぁと思っています。今回の問題に関してはやや相手の問題なのかなと思っています。

まぁ、あとは芸術作品について、考えています。自分の先頃出版した本は身近な人達には結構買ってもらうことができて、好意的な感想も結構頂いているのですが、書店での売り上げはボチボチというかまずまず止まりです。今回の作品はいろんな意味でうまくいった自信作だったので、少しショックを受けたりしました。

ただ世間的な評価はあまり関係ないのかなとも思ってきました。売れるというのも一時的な現象みたいなところがあって、その頃流行を捉え、最先端だったものが5年後には時代遅れになり、霞んでしまい、残らないということはよくあることだと思います。また、死んでから評価されたり、発掘される作品も多いです。

結局売れるように書くことなんて無理だし、自分のスタイルを磨いていくだけだなと初心に返ったりしました。今後広告も出していくので、「果報は寝て待て」であまり期待せずに吉報を待ちつつ、引き続き仕事や文学に励もうと思います。

「遍歴」を経て

こんばんは。

お疲れ様です。starttodayです。

今日は仕事中、単純作業だったので、自分の人生について、考えていました。

最近は体調も安定し、今の仕事も始めて、もうすぐ2年です。その次の勤務先についても段々候補が出てきて、ステップアップというよりは現状維持または少し負荷を下げる方向で話は進んでいます。

納得しているし、今の生活に満足しています。それは「遍歴」があったからだと思います。昔だったら、高望みしたり、隣の芝生が青く見えていたりしたでしょうが、私も様々な遍歴や他者との交流の中で、「実際」というものがわかるようになり、目移りすることは減ったように感じます。

また、病気や発達障害に対しても、コンプレックスを感じたり、卑下したりというよりもそれこそが我が人生を活性化させてくれているということにも気づけるようになりました。もし病気や障害がなかったら、私の人生の意味はもっと薄かったかもしれません。病気や障害のネガティブな部分だけじゃなくポジティブな部分も客観的に眺められるようになりました。それも「遍歴」が為せる術かもしれません。

「人間とは何か?」「人生とは何か?」を一人の大人の物書きとしてこれからも探求したいです。

ジョーカー

気怠げな午後

時間はゆっくりと進んでいく

計画は当初の予定から随分はずれてしまったが、

今は今で案外いい

そもそも計画通りになんていく性格じゃないし、

予定通りにいかないのもある意味計画通りだ

うまくいかなかったなりのプランがあるし、

俺はいつでもマイペースで自己チューだ

人生に遠慮できるほど賢くはないし、

いつだって手札は隠し持っている

ここぞという時に打てるジョーカーにはいつも手をかけているし、

もし負けたとしても、もう一度挑むだけだという開き直りもある

「人生よ、さあ、来たまえ」