夢・光・音

日々の生活の中で生まれてくる想いや感情を詩や文章などで吐き出そうと思います

苦境

昔書いたの載せます。


どんな苦境でも言葉というものが力を持つというのなら、人は語ることや書くことに意味を見出すだろう。

僕は一応文学者を志しているけど、僕なんかよりはるかに多くの温かい・意義深い言葉をあなたから頂いている気がする。あなたの言葉は優しい。心に繊細に直接(じか)に触れてくる。だから、癒される。自分が舐めてきた苦悩や痛みを洗ってくれる気がする。

これからもあなたに数え切れないぐらいお世話になるだろう。そして、その恩を返しきれぬまま僕は死ぬのだろう。

ずっと覚えているだろう……。あなたの笑顔、あなたの立ち振舞い、あなたの言葉。馬鹿みたいにずっと覚えていて、それらが、僕を生かし続けてくれるだろう。

想い出とはきっと苦境のためにあるのだ。

村上春樹「騎士団長殺し」を上巻の300ページぐらいまで、読んで

久しぶりの村上春樹の長編新作。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」以来の長編だ。そして、2巻以上にまたがるより長い長編作品としては「1Q84」以来だ。

発売日に予約せずに買えた。ところで、その後売れ行きはどうなのだろうか?とまあ、それはどうでもいいとして、私は「騎士団長殺し」を読み進めている。始めたばかりの仕事のことなどもあり、読むペースはゆっくりだが、だからといって作品を楽しめていないわけじゃない。

むしろ楽しめてる。堪能しているといってもいいくらい。彼の作品だけが刺激してくれる脳の箇所あるいは部位が存在している気がする。彼の作品だけが誘(いざな)ってくれる地点や見せるくれる景色がある。

意識の深いところに潜りこめて、つまりなかば無意識に近い状態に読書という触媒を通して、連れていってくれる村上春樹という作家はやはり唯一無二で偉大な作家だと思う。

物語はどんどん展開し、先は読めない。益々読書が楽しみになってきた。全部読み終わったら、また感想書きます。それでは。

夜風に吹かれて

4日目の勤務、終了。

疲れたけど、少し慣れてきたかもしれない。

この仕事の面白さが少しずつわかってきたかもしれない。

まだまだわからないことだらけだけど、自分なりに工夫して、対処できていると思う。

他のスタッフとも少しずつコミュニケーションが取れてきたかもしれない(もちろんまだまだだけど)。

まだわからないけど、いいところに就職できたのかもしれない。

僕は今までも就職先や出逢いにやや恵まれている気がする。自分はわがままでどうしようもない奴だけど、周りが随分よくしてくれて、カバーしてくれていた気がする。

育んでくれている日々や大いなる力に感謝しながら、大切なことを忘れずに歩んでいきたい。

まぁ、なんとかやっていきたい。先は長いから焦ることなく。

これでもなんとかやっている

なんとかやっている。金曜日で2日目の勤務を終えた。

1日1日の業務は4時間だが、精神的にも肉体的にも結構しんどい。周りは温かく接してくれているが、物覚えの悪い自分が恨めしい。

まだまだわからないことだらけで、慣れない人と環境に疲れるが、明日からもなんとかやっていきたい。

「無理せずに、肩の力を抜いて、臨んでください」と友人から言われている。その通りだと思う。

いつもながら、いつまで続くかわからないのだが、それでも誠実に仕事や人間に相対(あいたい)していくことだけは続けていきたい。

「なんとかなる」って信じてる。いい結果につながることをあまり期待しすぎずに祈ってる。

皆様にもいいことがありますように。

受け入れるのに時間がかかる

僕がほぼ毎日、何年も通い続けたカフェが今月の27日に閉店する。

悲しい。残念だ。悔しい。寂しい。信じられない。

この先僕は大丈夫だろうか?随分このカフェに支えてもらってきた。頼ってきた。依存してきたと言ってもいいかもしれない。

いまだに信じきれずにいる。受け入れられずにいる。

このカフェは人生の一部だった。生活の一部だった。

僕はこのニュースを昨日店長から聞いて、腑抜けになってしまった。

明日も仕事があるのに。

悲しくて、やりきれない。

本当にいい店だった。ハワイ以上の楽園だった。こんな大切な店、もう2度と現れないだろう。

いろんな店員さんの笑顔や一生懸命凛々しく働いている姿、今でもはっきり覚えている。

みんな素敵だった。みんな綺麗だった。まさにロコガールだった。

たくさんの夢を見させてもらった。一生分の糧をもらった。

頑張ろう。彼女達に恩を返せるように。

自分らしい人間になっていこう。自分らしい文章を書いていこう。

彼女達が僕を感動させてくれたように、いつか僕も彼女達を感動させたい。

頑張ろう。マイペースで。積み上げていこう。自分なりのやり方で。

いつかまた出逢えるだろう。

あるカフェ店長への恋

昔々あるところに若くて、小さめな体のかわいらしいカフェ店長がいました。

彼女は来る日も来る日も休まず、愚痴ひとつ言わず熱心に働いていました。

彼女は忙しすぎても、連勤が続いても、厄介な客がいても、嫌な顔ひとつせずに、笑顔で大切なことを忘れずにお客さんやスタッフに接し続けました。

そんな彼女の店に足繁く通う、冴えない世を恨んだところのある文学青年がいました。

彼は最初、このカフェ店長を疑っていました。人が良すぎるからです。それに彼のようなろくでもない人間にも優しすぎたからです。

しかし、彼女の優しさや人の良さは1年が過ぎても、2年が過ぎても、3年が過ぎても、続きました。

その暖かな日差しのような優しさは、この青年の疑り深い、凝り固まった厚いマントを徐々に脱がせていきました。

そして、とうとう青年はマントを完全に脱ぎました。

マントを脱いだ青年は嬉しくなって、このカフェに行って、カフェ店長にプロポーズしようと思いました。

しかし、店に行ったら、このカフェ店長は男の人とハグしていました。

青年はしょげてしまいました。またマントを着ようかとも思いました。

でも、それは嫌でした。それでは、今までカフェ店長が青年にしてくれたことが全て無駄になってしまうからです。そして、青年はそれほど愚かではありませんでした。

彼はかわりにこの若い2人の愛を祝福しようと思いました。彼は人を愛するとはどういうことかを学んだのです。

そして、彼はカフェ店長からもうひとつのことを学んでいました。

それは「人は信じていい」ということです。

その後、この青年は偉大な文学者になりました。それでも、成功した今になっても、心が苦しくなり、負けそうになる時はこのカフェ店長のことや彼女の笑顔、このカフェのことを思い出して、こころを奮い立たせているのでした。

めでたし、めでたし。おしまい。

手紙

今日はお世話になっているある人に原稿用紙2枚の手紙を書いた。それなりにこころを込めて、書けたと思う。抜群の出来というわけじゃないけど、気持ちを素直に表現できて、爽やかな手紙を書けたと思う。もっとその人に対する想いを鮮やかに陰影も含めて描ければいいけど、今の人間性と筆力にしては今日はそこそこよくやれたと思う。

そして、気づいたことだが、若くて綺麗な女の子とかより、年を重ねた本当に熟練した愛情深い人物に対しての方が筆が進み、情感を込めて書けるということだ。この前デイケア時代のスタッフだった方にそれなりの長さの手紙を書かせてもらって、ありがたいことに喜んでもらえたのだが、書き始めてからわかったことだが、いかにこの人に感謝してて、思い入れがあって、尊敬していたかということだ。だから、喜んでもらえる「いい」手紙が書けたのだ。

もちろん若い綺麗な(もしくはかわいい)女の子にも思い入れや感謝の気持ちなどはあるが、本当に深い愛情を持って接してくれているのはもしかしたら年長者の方なのかもしれない。だから、その愛情に感応して、僕も気持ちを入れて手紙が書けたのかもしれない。そう思った。

「とにもかくにも誰かにこころを込めて手紙を書くのは楽しい!」と今日改めて思った。