夢・光・音

日々の生活の中で生まれてくる想いや感情を詩や文章などで吐き出そうと思います

これでもなんとかやっている

なんとかやっている。金曜日で2日目の勤務を終えた。

1日1日の業務は4時間だが、精神的にも肉体的にも結構しんどい。周りは温かく接してくれているが、物覚えの悪い自分が恨めしい。

まだまだわからないことだらけで、慣れない人と環境に疲れるが、明日からもなんとかやっていきたい。

「無理せずに、肩の力を抜いて、臨んでください」と友人から言われている。その通りだと思う。

いつもながら、いつまで続くかわからないのだが、それでも誠実に仕事や人間に相対(あいたい)していくことだけは続けていきたい。

「なんとかなる」って信じてる。いい結果につながることをあまり期待しすぎずに祈ってる。

皆様にもいいことがありますように。

受け入れるのに時間がかかる

僕がほぼ毎日、何年も通い続けたカフェが今月の27日に閉店する。

悲しい。残念だ。悔しい。寂しい。信じられない。

この先僕は大丈夫だろうか?随分このカフェに支えてもらってきた。頼ってきた。依存してきたと言ってもいいかもしれない。

いまだに信じきれずにいる。受け入れられずにいる。

このカフェは人生の一部だった。生活の一部だった。

僕はこのニュースを昨日店長から聞いて、腑抜けになってしまった。

明日も仕事があるのに。

悲しくて、やりきれない。

本当にいい店だった。ハワイ以上の楽園だった。こんな大切な店、もう2度と現れないだろう。

いろんな店員さんの笑顔や一生懸命凛々しく働いている姿、今でもはっきり覚えている。

みんな素敵だった。みんな綺麗だった。まさにロコガールだった。

たくさんの夢を見させてもらった。一生分の糧をもらった。

頑張ろう。彼女達に恩を返せるように。

自分らしい人間になっていこう。自分らしい文章を書いていこう。

彼女達が僕を感動させてくれたように、いつか僕も彼女達を感動させたい。

頑張ろう。マイペースで。積み上げていこう。自分なりのやり方で。

いつかまた出逢えるだろう。

あるカフェ店長への恋

昔々あるところに若くて、小さめな体のかわいらしいカフェ店長がいました。

彼女は来る日も来る日も休まず、愚痴ひとつ言わず熱心に働いていました。

彼女は忙しすぎても、連勤が続いても、厄介な客がいても、嫌な顔ひとつせずに、笑顔で大切なことを忘れずにお客さんやスタッフに接し続けました。

そんな彼女の店に足繁く通う、冴えない世を恨んだところのある文学青年がいました。

彼は最初、このカフェ店長を疑っていました。人が良すぎるからです。それに彼のようなろくでもない人間にも優しすぎたからです。

しかし、彼女の優しさや人の良さは1年が過ぎても、2年が過ぎても、3年が過ぎても、続きました。

その暖かな日差しのような優しさは、この青年の疑り深い、凝り固まった厚いマントを徐々に脱がせていきました。

そして、とうとう青年はマントを完全に脱ぎました。

マントを脱いだ青年は嬉しくなって、このカフェに行って、カフェ店長にプロポーズしようと思いました。

しかし、店に行ったら、このカフェ店長は男の人とハグしていました。

青年はしょげてしまいました。またマントを着ようかとも思いました。

でも、それは嫌でした。それでは、今までカフェ店長が青年にしてくれたことが全て無駄になってしまうからです。そして、青年はそれほど愚かではありませんでした。

彼はかわりにこの若い2人の愛を祝福しようと思いました。彼は人を愛するとはどういうことかを学んだのです。

そして、彼はカフェ店長からもうひとつのことを学んでいました。

それは「人は信じていい」ということです。

その後、この青年は偉大な文学者になりました。それでも、成功した今になっても、心が苦しくなり、負けそうになる時はこのカフェ店長のことや彼女の笑顔、このカフェのことを思い出して、こころを奮い立たせているのでした。

めでたし、めでたし。おしまい。

手紙

今日はお世話になっているある人に原稿用紙2枚の手紙を書いた。それなりにこころを込めて、書けたと思う。抜群の出来というわけじゃないけど、気持ちを素直に表現できて、爽やかな手紙を書けたと思う。もっとその人に対する想いを鮮やかに陰影も含めて描ければいいけど、今の人間性と筆力にしては今日はそこそこよくやれたと思う。

そして、気づいたことだが、若くて綺麗な女の子とかより、年を重ねた本当に熟練した愛情深い人物に対しての方が筆が進み、情感を込めて書けるということだ。この前デイケア時代のスタッフだった方にそれなりの長さの手紙を書かせてもらって、ありがたいことに喜んでもらえたのだが、書き始めてからわかったことだが、いかにこの人に感謝してて、思い入れがあって、尊敬していたかということだ。だから、喜んでもらえる「いい」手紙が書けたのだ。

もちろん若い綺麗な(もしくはかわいい)女の子にも思い入れや感謝の気持ちなどはあるが、本当に深い愛情を持って接してくれているのはもしかしたら年長者の方なのかもしれない。だから、その愛情に感応して、僕も気持ちを入れて手紙が書けたのかもしれない。そう思った。

「とにもかくにも誰かにこころを込めて手紙を書くのは楽しい!」と今日改めて思った。

書きかけの小説からの抜粋「脱皮」

和也はカウンセラーに「自分(だけ)のために書いてみなさい」と言われたことをきっかけに、もっと個人的で自己完結的な文章をこれからは書こうと思うのであった。誰におもねることもなく遠慮することもなく、発表することを意識することなく、どこまでも自由で個人的な作品を作ろうと思うのであった。

もっと恥や遠慮の意識を捨てる必要があるかもしれなかった。それは中々難しいことだし、将来の発表というのがどうしてもちらついてしまう和也なのであったが、どう読まれるかばかりを気にした作品が面白いはずはなく、和也はそろそろ脱皮する必要に迫られている気がした。

自分でも足りないものに対して気づきつつあった。正直な気持ちを吐き出せてない事象や箇所があった。自分の内側にある醜い感情にフタをしているところがあった。読者が一番読みたいのはそういう真実の部分なのに。和也は覚悟を決めつつあった。綺麗事だけを並べる今のくだらない作風から脱皮して、自分の汚い・ズルい感情や他者への鋭い・辛辣な批評を開けっぴろげに表明した真実の文学へ進化しようと思っていた。

復調の兆し

最近は勤務予定地の変更などもあり、また二次面接から受けなければならなくなるなど、やや散々な日々だった。気持ちを立て直すのにだいぶ苦労したが、ようやく少しずつ前を向けてきたのかもしれない。

元はと言えば、企業側や就労支援施設側がいろいろ僕の要望を汲んでくれて、計らおうとしてくれたのだが、いろいろな事情のため、思うようにいかなかった。それはそれでありがたいことだったのだが、期待していたものとは違う結果になって、私は少々落胆してしまったのだ。

でも、そんな落ち込んでいる私を知人や友人、企業の人、就労支援施設の人、元デイケアのスタッフなどが支えてくれて、励ましてくれて、なんとか今僕は立っている。

金曜の面接に受けて、体調を整えていきたい。

マイペース

ダルい。昨日は働く候補地の偵察もあって、合計5時間くらい、時間を移動に費やしていたので、疲れた。

実際に行ってみてわかることも多いので、収穫もあったのでよかったのだが、やはり初めてのところというのは疲れる。今日は朝からバタンキューだ。

前より体力が無くなった気がする。というより疲れを疲れとしてきちんと認識できるようになったというのも関係があるかもしれない(実際に体力が前より無くなったというのもあるだろうが)。

あまり無理せずやろう。できることだけできるペースでやっていこう。なんだかんだで前に進んでいると思う。勤務地もそろそろ決まるだろう。

皆様もお互いマイペースでやっていきましょう。それでは。