夢・光・音

日々の生活の中で生まれてくる想いや感情を詩や文章などで吐き出そうと思います

年下の友人と聖書

今日は昼から年下の友人と会った。

精神疾患、心理学、介護・福祉、キリスト教など、いろいろなことを話した。

彼は若いけど、豊富な知識や経験に基づいているから、話が興味深い。学ばされることも多い。

そして、辛いのは自分だけじゃないんだとも思えた。これは人と関わることの主要な意味の1つなのではないだろうか。「生きることというのはそもそもにおいて中々に苦しみを伴うものである」という根本的なテーゼに立ち返らせてくれる。

彼も自分もまだまだ十分に若いのだから、今後益々人格を発展させていきたいし、それぞれ自分らしく花開いていきたい。

ところで、最近新約聖書を読んでいる。130ページぐらいまで進んだ。聖書を読んでいると希望が湧いてくる。夢や目標が実現する様子が浮かんでくる。そして、謙虚でいることや感謝の気持ちを忘れずにいようと思える。この世界を支配したり、構成する、目に見えるものじゃない、もっと大きなものを感じることができる。だから、日々が鮮やかに感じられ、未来を信じることができる。難しい目標かもしれないけど、新約聖書旧約聖書も長いけど、最後まで読み通したい。

祝ブログ1周年

こんにちは。

慌ただしくて、忘れていましたが、2月1日でこの夢・光・音というブログがめでたく1周年を迎えることができました。

仕事や私生活などがうまくいかない時もブログに関してはできるだけ書こうとこころがけて、今日まで続けてこれた気がします。この記事で通算掲載記事は323記事、総アクセス数は7700ぐらいになりました。そして、数え切れないぐらいのスターやコメントも頂きました。ひとえに皆様のおかげです。

僕にとってブログを書くということはその向こうにある優れた文学作品を残すという夢に向けての大切な修練の場になっております。自分の書いた記事をすぐにアップできて、それを少なくない方が目を通して、反応をくださるというのは誠にありがたいことです。

今後もこの恵まれた環境を味方につけて精進して参りたい所存です。いつも応援ありがとうございます。それでは。

若き日の一記憶の断片 卓球編

あまり皆様の前でお話しすることはなかったが、中学時代私は卓球部に所属し、それなりに熱心に取り組み、県大会出場などのそれなりの結果も残した。

授業が終わるとすぐ、毎日卓球場に駆け込み、ラリーやサービス練習、フォアハンド、バックハンド、練習試合などを通して仲間達と切磋琢磨して腕を競い合ったものだ。

爽やかで一番センスがあった部長の寺島、卓球雑誌を授業中まで熱心に読んでいた後藤、太っててパワーもあるけど手先の器用な拓真、など。他にも数え切れないぐらいの仲間がいた。

6時に部活が終わった後には、駄菓子屋でよくブタメンというカップラーメンを食べながら、笑いあったものだ。

自分は団体戦の試合で5番を任せられることが多かったのだけど、5番というのは勝敗を決する場面で回ってくることが多く、部員達の大声援が背中を押してくれることが何度もあった。

セット間の顧問の先生のアドバイスも的確で、「ミドルを狙え!」「ショートを狙え!」などのアドバイスはなぜかいつも効果覿面だった。

顧問の的確なアドバイスやその場がホームに感じられるような大声援のおかげで、僕はいくつもの逆転勝ちを収め、チームを勝利へ導けたのだった。

祝30歳

30歳になった。家族や友達が祝福してくれる。

何かを為し遂げたわけじゃないけど、ここまでよくやってきたと思う。自分をほめてあげたい。

何気ない毎日の積み重ねが30年間につながったのだ。病気や挫折、不安や焦燥感、いろんなものに悩まされてきたし、今でも悩まされている。

人生なんて想定通りになんていかないし、まして望み通りになんていかない。

それは人間関係もまた然りだ。仲良くなりたくてもなれなかったり、意外な人と意気投合したり、すれ違ったり、通じあったり、いろんなことがあった。

まだ「人生とは何か?」になんて全然答えることはできないし、そんな年齢でもないけど、なんとかこれからも無理せずに1日1日積み重ねていけたらいい。

皆さんもお身体大切にゆったりと過ごされてください。一緒にマイペースで歩んでいきましょう!

春空

気分はよくない

だけど、あの青い空は綺麗だ

向こう側に飛んでいきたい

吸い込まれるように澄んだ青と白い雲

気候が段々春に向かっている気がする

もう寒い冬は嫌だ

そろそろ日向ぼっこがしたいなぁ…

いつかは誰かの支えになりたい

今日も薬を変えた

主治医の前で初めて泣いた

かっこつけてられないぐらい、せっぱつまって、思わず瞳から涙がこぼれ落ちた

少しスッキリした

カウンセラーに「辛いのはみんな同じ」と優しく笑いかけられながら、言われたということを話している時に、思わず泣いてしまった

いろんな人の支えで生きてる

なんでこんな風に生まれてきたんだ?親を恨むこともあるけど、結局は親にも感謝している

「もう死にたい」と思う時もかなりしばしばあるけど、「まだ死にたくない」というのがどうやら本音のようだ

まだまだ会い続けたい人がいっぱいいる

吸い込まれそうに、飲み込まれそうになることもしばしばだけど、俺には「底力」がある、「生命の光」がある

生きている間に何かをやり遂げたい

それが誰かの支えになればいい

もうすぐ20代が終わる

「前よりいろんなことがどうでもよくなった」なんて大人な振りして、かっこつけて言ってる俺がいた。いつのまにか丸くなり(思想だけじゃなく体型も)、それを受け入れたり、それに満足しようとしている俺がいた。

でも、たぶんそれは違う。じゃあ、18の時、20の時、感じてたことは何だったのか?風に吹き飛ばされる砂に帰してしまうのか?

でも、きっと大丈夫。どうでもよくなんかなっていない自分もいるから。言ったことをすぐに翻すっていうのは年を経て身につけた大切な能力だ。

こだわっていきたい。人生に。ただ一つだけのことに。俺はたぶん変わってなんかいない。