夢・光・音

日々の生活の中で生まれてくる想いや感情を詩や文章などで吐き出そうと思います

牛島兄弟「だれかの映画史」を読んで2

昨日書いた、牛島兄弟「だれかの映画史」についての記事が納得できなかったので、書き直します(昨日書いたのは、昨日書いたまま残しておきます)。

だれかの映画史。だれの映画史なのでしょう?読み進めていくと自ずとわかりますが、それは筆者だけじゃなく、自分の映画史でもあります。筆者の映画史を通して、自分が観てきた映画の内容や観てきた映画館、一緒に観た人、その時のシチュエーション。様々な記憶がよみがえってきます。

大学時代に女友達と渋谷で観た「Always 三丁目の夕日」、見終わった後、次の日の経済史のテストに向けた勉強、すごく頑張れた気がします。

大学の授業についていけなくて、将来の見通しもつかなくて、絶望していた頃、父が一人暮らしのアパートに訪ねてきてくれて、近所のレンタルビデオ屋で借りた、黒澤明の「生きる」を一緒に観て、妙に救われたのを覚えています。

牛島さんの2回目の個展の後、お互いなんとなく鬱々としていて、将来への不安や現状への不満・苛立ち、二人の関係性も少し微妙だった気がします。それで、なんとなく映画の話になって、牛島さんの家でフェデリコ・フェリーニの「甘い生活」を見よっか!?ということになったのですが、家にはお兄さんがいて、一度は諦めました。それから、僕は牛島さんの家から最寄りの地下鉄の駅を歩いていると、お兄さんとすれ違いました。なので、少し迷いましたが、牛島さんに電話して、今度は二人で「甘い生活」を観ました。文学を志していた新聞記者が享楽的なパーティーなどに耽り、堕落して文学の志も次第に失ってしまうという内容だったので、「自分達はいつまでもインチキにならないで、本物の芸術を追い求めよう」のような無言の誓いをお互いの間で立てた気がします。そして、それは今でも僕達の中にあります。

「だれかの映画史」のことを書くつもりだったのに、自分の映画史を書いてしまいました。でも、それを書かせてしまう不思議な魅力がこの雑誌にはあります。興味のある方は是非手に取ってみてください。