とんでもなく自分がくだらない存在で、社会にとってお荷物で、今抱えている憂鬱も結局はどうすることもできない気がして、月明かりだけが無駄に明るくて、自分の人生の責任を自分だけに帰するのはやめようと思った。
憂鬱な時、決まって聴く、ニック・ドレイクとエリオット・スミスというアーティストはどちらも26と34の時に不幸な死に方をしていて、だからなのか、本当に辛いときは自然と2人のアルバムを聴いてしまう。そのことが少しでも供養になっていればいいな。
あっけなく何人か知人を亡くした後では、「生きているって何なんだろう?」というおなじみの問いもどこか間延びしてて、真剣に考えるのが馬鹿馬鹿しくなる。これから自分も自分なりに何かをして、いつかは必ず死ぬのだ。猶予もなく。
時間は流れる。とどまることなく。そのことは冷たいことでもあるけど、すごく温かく優しいことでもある。すべての人にとって同じ早さで流れるし、すべてを洗い流すのだから。とどまらぬ時間を追いかけるのはやめて、自分のままでここにいる自分を温かく抱きしめる。最初から知っていたみたいに。