なぜ文学なんて一見非建設的なことをやっているのか?お金にもならないし。理解されないことも多いし。才能もないかもしれないし。
自分をわかってほしいというのが一番の理由だと思うけど、それ以外にも感情を吐き出したいや感謝の想いを伝えたいやなんとなくなどいろいろあると思う。
そして、もうひとつの理由として自分を知るためというのがあると思う。自分の想いや内側を言語や字という目に見える形で残しておきたいのだ。
原稿用紙やブログに字や記事を書きつけると落ち着く。自分以外の自分を産み出せた気がして。僕はたぶん子供を残さないと思うから、余計に思う。また、書いたものを読んで、自分にはこういうところもあったのかと気づけたり、自分を客観的に見れたりもする。
関連した話で、なおかつ全然違った話として、パートナー選びは自分に相応しい人を選ぼうと思いました。それには自分をよく知っていないと相応しい人も選べないと思うので、そのためにも書くことは意味があったとあとで思えるといいです。
今まで僕は自分に合ってない、相応しくない人ばかり好きになっていた気がします。そういうことに気づけるぐらいには自分も成長したのかなと思います。
今日の残りも気楽に過ごして、今週も仕事など頑張ろうと思います。それでは。