ほろ苦いビターな後味のような29歳を生きている。希望があるのかわからない。あるのは挫折感と焦りとコンプレックス。
彼女ができそうなアテはない。これから就職するけど、うまくいくのかわからない。不安と絶望感が今聴いているエリオット・スミスの音楽と調和している。
それでもなんとかなるかもしれないとも思っている。状況はどうあれ、どう捉えるかは自分に委ねられているのだから。
俺は価値観がたぶん通俗的すぎる。世間の価値観じゃなくて、自分の価値観に早くなりたい。
闇を直視するにはまだまだ自分が弱すぎて、目を背けてる。それでも少しずつはたぶん強くなってる。
自分を受け入れようとしているから、今苦しいんだ。逃げてない証拠だ。問題だらけの自分だけど、それに立ち向かい続けてる自分がいる。
外は暖かな日差しが射して、優しく世界を包み込んでいる。「もうどうにでもなれ!」って思うことも時に必要だ。
苦しいのはたぶんみんな同じだし、考え方によっては人間皆友達だ。優れた音楽を聴いているとそんな気持ちになる。
俺の文章でみんな何か感じてくれるかな?痛みとか悲しみとか希望とかつながりとか。もっとうまく書ければいいけど、今はこれが精一杯。
ないものねだりとか嫉妬とか羨望はなくなりはしないけど、今の自分や自分を包み込む状況・自分ができることに目を向けると豊かな自分に出逢える。
書くことでどこかに到達できればいいのに。闇や絶望を乗り越えられればいいのに。自分に課された運命や役目はまだわからないけど、逃げずに果たしていこうと思う。弱音を吐きながら。
泣きそうになりながら、吐きそうになりながら、日々を過ごしていけば、いつかきっと突然光が射してくるはずだ。啓示みたいに。