夢・光・音

日々の生活の中で生まれてくる想いや感情を詩や文章などで吐き出そうと思います

明日に向かって

もうじき梅雨も明けるらしいけど、

私の心は曇ったままだ

悩んでいる

創作上の悩み

一旦は書き上がったけれど、

大変なのはむしろこれからだ

出版というのは責任が伴う

多方面に配慮しなければ

だけど、自分の主張も通したい

板挟みの中で

ジレンマの中で

身悶えている

進んでいる先には光があると思って

自分のやっていることは正しいと思って

状況は知らぬ間に切り開かれると思って

今日も言葉を紡いでいこう

明日に向かって

忘れな草

退屈な月曜日

やることもないから同じ喫茶店に二度入った

天気はグズついているし、

明日からはつまらない仕事

休日が終わってしまうのが名残惜しくて、

理由はないけど(たぶん疲れているからか)、

少し憂鬱

心の内を見透かされるのが怖いからか、

どう思われるかばかり気にしている

それが余計に事態を厄介にし、

誤解される元になっている

わかってほしいわけじゃないけど、

誤解されるのはやはり傷つく

同じ失敗を繰り返す自分に呆れながら、

今日も日が暮れてゆく

こんな日暮れ時は会わなくなった人や死んでしまった人のことを考える

私は彼らを理解していたのだろうか?

彼らの一番内側に何があったかを知っていたのだろうか?

踏み切りの向こう側の線路を列車が、

その都度シャッターを切るみたいに走り抜けてゆく

どうして時に人は今持っているものより置き忘れたもののことばかり考えてしまうのだろうか?

明日を夢見て

蒸し暑い陽気

歯医者が無事終わった

特に何ともなかった

ホッとした

最近健康面でいろいろ危惧していたけど、

全体的に杞憂に終わった

何とかなった感じ

なので今日はいい1日だったのだが

一つ気になることがあった

行きつけのカフェの少し顔見知りの店員さんに誤解されたか、少し冷たくされた感じ

なんとなくタイミングを逸して、声をかけ損ね続けていたら、ジロジロ見ている感じになったか?

まあそんなこともある

何かを期待していたわけじゃないし、

いずれ挽回のチャンスもあるかもしれない

最近は人付き合いも現実との折り合いもうまくなったけど、

相変わらず私は内気で挙動不審だ

誤解する人もいるだろう

しょうがない

人生って常に不安要素や課題を残すものだし、

ジャンプはずっと後でいい

今はその時見れる景色を夢見て、

ぐっすりと眠ろう

夕闇の先

曇り空は続いているけど、

私の心は晴れている

なぜなら明日から3連休だからだ

あいにくの雨のように土曜日には歯医者という憂鬱な用事はあるが、

いつかは行かなくてはならないものだし、

どこかで覚悟は決まった

たとえ宜しくない結果だとしても受け入れよう

年を取っていく中で

獲得できるものと失っていくものがある

32の私は獲得できるものの方が失うものよりも多い気がしているが、

やはり体力面や健康面では静かに少しずつ衰えていくものだろう

人間、大人になるにつれ、無傷ではいられなくなる

手術跡やシワ、苦い思い出、癒せない傷

それらを同伴者として何とかやりくりするのが人生だろう

ただ人生を振り返って、悪かったことよりよかったことの方が多かった気がする

それは「思い出は美化される」とかそんなことじゃなくて

実際にそうだったからじゃないだろうか?

こんな夜は自分が人生で何かをやれる気がする

それはきっと錯覚でも思い込みでもなく、実際にそうだからなんじゃないだろうか?

帆を掲げて

あの時だってそれなりのところにいたのだと思う

目指しているものが高いが故の悩みだったのだと思う

一番いいものを諦めてなかったが故の苦しみだったのだと思う

今それに対して文句はない

結末は未定だけど、

選択に後悔はない

妥協はしたくなかった

安全策は取りたくなかった

リスクを取れるだけ、それまでに培われていたし、

ないようで自信があった

自分に期待していた

結末は未定だけど、

面白い人生になった

最後になっても、選択が誤りだったとは思わないだろう

帆を掲げてこその人生

志に従ってこその人生

自分の人生の責任は、自分で取ろう

32になって、

今、その言葉の意味を噛みしめる

曇り空の中で

今日もいつものように曇り空

私の心は意外に晴れているけど、

行き場を見失いかけている

現実って児童文学みたいにハッピーエンドじゃ、まとまらなくて

受け止めるにはややこしくて、重すぎる

じわじわ積み重なって、蓄積している

持ちこたえられないとか溢れそうってわけじゃないけど、

それなりにしんどくて、タフさを求められる

だけど、それに耐えられるだけの自分ができてきていて、

やられっぱなしというわけじゃない

現実に対しての対抗手段も今では持ち合わせていて、

要するに生き抜く術を身につけたのだ

後押ししてくれる仲間もいて、

不確かなものを信じる希望も芽生えた

どうせならもう…

どうせならもう…

自分が一番信じたいものを信じよう

私なりのテーゼ

時は流れている

私はそれに抗えず、流されたままだ

ある意味で人間なんて究極的には何もできないのかもしれない

昔一人で伊勢に旅行に出た

名古屋を経由して、伊勢神宮の近くのビジネスホテルに泊まった。テレビとベッドと鏡張りの机だけがある、狭い部屋の中で原稿用紙に文章を書いていた。24・5の頃。

あの頃書いていたもののことは忘れてしまったけど、そんなにわるいものでもなかった気がする。それを出版社に持っていって、自費出版につながった。結局その原稿は使われなかったし、今はもう紛失してしまったかもしれないけど、いつかまた読んでみたいと思う。

体調を崩し、明日をも知れぬ我が身の中で、そんな時だからこそ、浸れる世界がある。そんなにうまくなんて生きられない。私は機械ではないのだから。

いろんな人間関係や人間模様の中で生かされている自分を感じている。浮上すべき時が来るまでは、じっと深くに潜っていよう。