最近いいことがあったので(ここでは明かせないが)、テンション高めだったのだが、今日は調子が悪く、予定していたトリムバレーボールに行かなかった。
最近しばらく活動的に過ごしていたので、疲れが出たのかもしれない。でも、時間が経つにつれて、少しずつ回復してきた。夕方には母と4キロぐらいジョギングした。
体重は増えたり減ったりで、中々思ったように減っていかない。でも、こういう日常的なランニングがそのうち効果を及ぼすだろう。
悪くない日々を送れている。こういうちっちゃな日常、着実に積み上げていこう。
最近いいことがあったので(ここでは明かせないが)、テンション高めだったのだが、今日は調子が悪く、予定していたトリムバレーボールに行かなかった。
最近しばらく活動的に過ごしていたので、疲れが出たのかもしれない。でも、時間が経つにつれて、少しずつ回復してきた。夕方には母と4キロぐらいジョギングした。
体重は増えたり減ったりで、中々思ったように減っていかない。でも、こういう日常的なランニングがそのうち効果を及ぼすだろう。
悪くない日々を送れている。こういうちっちゃな日常、着実に積み上げていこう。
つまらない事で悩み過ぎだってわかってる
くだらないハッピーエンドを頭の中でこしらえて、一人で盛り上がってる
そんなに悪い事でもないかもしれないけど、結構な罪を犯したのかもしれない
俺の人格の歪みか?
誰にどう言われても治らない
本当に反省してるのに
この厄介な病とこれからも共存していかねば
前だったら、この段階で自暴自棄になっていたけど、今はこらえられてる
可愛い甥っ子もいる
人生を放棄するには俺はまだ若過ぎる
最近必要以上に悩んでいた時の詩2編を載せさせていただきます。個人的には思い入れもあるし、少し気に入っています。
くだらない過ちを繰り返す僕を神はどう見るだろう?
赦されるだろうか?
仕方なかった。させられ体験だった。運命を試したかった。
どれも言い訳だろう。
俺はいまだ愚かな男だ。
5年前と変わっちゃいない。
どれだけ反省してもまた繰り返してしまう。
それが俺の性(さが)だ。
でも、神様は全部を知った上で赦してくれるかもしれない。そして、彼女も。
こころが動くことも多い最近だけど、嬉しいことも多い最近だけど、落ち着きがなかったり、イライラしてしまうこともある。
そんな時は気心の知れた友達とおしゃべりしたり、トリムバレーしたり、ひとりで馴染みのカフェに来たり、聖書を読んだりする。
こころは常に揺れ動くものだけど、できるだけ安定させたいし、平静を保っていたい。
疲れたら、休んで、眠くなったら、寝て、歩きたくなったら、歩く。そんな日々。
季節の移り変わりを感じながら、自分の成長をちょっぴり感じて、人生の儚さも同時に少し感じる。
「悪くないな、俺の人生」と誰に言うでもなく、そっとつぶやいて、缶コーヒーをすする。
今日も1日が無事終わっていく。育んでくれている日々や人々に感謝!
ディスカバートゥエンティワンから先月刊行された、「超訳 イエスの言葉」を最近読み終わった。
面白かった!また聖書を読みたいと思った。
キリスト教というのは神秘の宗教である。
わからないことだらけ。イエスはいつまでも謎の存在。
編訳した白取春彦の捉え方もひとつの捉え方に過ぎないなと思った。
イエスはいつまでも誰にも捉えられぬ存在。
中世の神学者、トマス・ア・ケンピスやクザーヌスの提示したキリスト像もひとつの例にしか過ぎないのかもしれない。
もっと勉強したい。キリスト教のこと、聖書のこと、様々な宗教、人間の文化について、人間そのものについて。
文学を通してもイエス・キリストを感じたい。
ところで、この男は一体何者なんだろう?
何を示しているのだろうか?