夢・光・音

日々の生活の中で生まれてくる想いや感情を詩や文章などで吐き出そうと思います

書きかけの小説からの抜粋「脱皮」

和也はカウンセラーに「自分(だけ)のために書いてみなさい」と言われたことをきっかけに、もっと個人的で自己完結的な文章をこれからは書こうと思うのであった。誰におもねることもなく遠慮することもなく、発表することを意識することなく、どこまでも自由で個人的な作品を作ろうと思うのであった。

もっと恥や遠慮の意識を捨てる必要があるかもしれなかった。それは中々難しいことだし、将来の発表というのがどうしてもちらついてしまう和也なのであったが、どう読まれるかばかりを気にした作品が面白いはずはなく、和也はそろそろ脱皮する必要に迫られている気がした。

自分でも足りないものに対して気づきつつあった。正直な気持ちを吐き出せてない事象や箇所があった。自分の内側にある醜い感情にフタをしているところがあった。読者が一番読みたいのはそういう真実の部分なのに。和也は覚悟を決めつつあった。綺麗事だけを並べる今のくだらない作風から脱皮して、自分の汚い・ズルい感情や他者への鋭い・辛辣な批評を開けっぴろげに表明した真実の文学へ進化しようと思っていた。

復調の兆し

最近は勤務予定地の変更などもあり、また二次面接から受けなければならなくなるなど、やや散々な日々だった。気持ちを立て直すのにだいぶ苦労したが、ようやく少しずつ前を向けてきたのかもしれない。

元はと言えば、企業側や就労支援施設側がいろいろ僕の要望を汲んでくれて、計らおうとしてくれたのだが、いろいろな事情のため、思うようにいかなかった。それはそれでありがたいことだったのだが、期待していたものとは違う結果になって、私は少々落胆してしまったのだ。

でも、そんな落ち込んでいる私を知人や友人、企業の人、就労支援施設の人、元デイケアのスタッフなどが支えてくれて、励ましてくれて、なんとか今僕は立っている。

金曜の面接に受けて、体調を整えていきたい。

マイペース

ダルい。昨日は働く候補地の偵察もあって、合計5時間くらい、時間を移動に費やしていたので、疲れた。

実際に行ってみてわかることも多いので、収穫もあったのでよかったのだが、やはり初めてのところというのは疲れる。今日は朝からバタンキューだ。

前より体力が無くなった気がする。というより疲れを疲れとしてきちんと認識できるようになったというのも関係があるかもしれない(実際に体力が前より無くなったというのもあるだろうが)。

あまり無理せずやろう。できることだけできるペースでやっていこう。なんだかんだで前に進んでいると思う。勤務地もそろそろ決まるだろう。

皆様もお互いマイペースでやっていきましょう。それでは。

「超訳 ヘッセの言葉」を読み直してみて

ディスカヴァー・トゥエンティワンから2015年に刊行された「超訳 ヘッセの言葉」を1年半ぶりぐらいに読み直した。

面白かったし、自分の成長や視点の変化を感じられて、よかった。

自分は自分の性向や天分に沿った生き方をある程度できている気がしたし、この道できっといいんだとも思えた。

世間や周りに惑わされず、こころや魂に聴いて、自分の道を行こうと改めて思えた。

わがままで個性的であろうとも思えた。

みんなの中で埋もれてしまうのでなく、多少孤立してもいいから、自分に正直でいようと思った。

少しずつ風が吹いている。その風は僕を今までより、より自分らしい場所に連れていってくれそうだ。

年下の友人と聖書

今日は昼から年下の友人と会った。

精神疾患、心理学、介護・福祉、キリスト教など、いろいろなことを話した。

彼は若いけど、豊富な知識や経験に基づいているから、話が興味深い。学ばされることも多い。

そして、辛いのは自分だけじゃないんだとも思えた。これは人と関わることの主要な意味の1つなのではないだろうか。「生きることというのはそもそもにおいて中々に苦しみを伴うものである」という根本的なテーゼに立ち返らせてくれる。

彼も自分もまだまだ十分に若いのだから、今後益々人格を発展させていきたいし、それぞれ自分らしく花開いていきたい。

ところで、最近新約聖書を読んでいる。130ページぐらいまで進んだ。聖書を読んでいると希望が湧いてくる。夢や目標が実現する様子が浮かんでくる。そして、謙虚でいることや感謝の気持ちを忘れずにいようと思える。この世界を支配したり、構成する、目に見えるものじゃない、もっと大きなものを感じることができる。だから、日々が鮮やかに感じられ、未来を信じることができる。難しい目標かもしれないけど、新約聖書旧約聖書も長いけど、最後まで読み通したい。

祝ブログ1周年

こんにちは。

慌ただしくて、忘れていましたが、2月1日でこの夢・光・音というブログがめでたく1周年を迎えることができました。

仕事や私生活などがうまくいかない時もブログに関してはできるだけ書こうとこころがけて、今日まで続けてこれた気がします。この記事で通算掲載記事は323記事、総アクセス数は7700ぐらいになりました。そして、数え切れないぐらいのスターやコメントも頂きました。ひとえに皆様のおかげです。

僕にとってブログを書くということはその向こうにある優れた文学作品を残すという夢に向けての大切な修練の場になっております。自分の書いた記事をすぐにアップできて、それを少なくない方が目を通して、反応をくださるというのは誠にありがたいことです。

今後もこの恵まれた環境を味方につけて精進して参りたい所存です。いつも応援ありがとうございます。それでは。

若き日の一記憶の断片 卓球編

あまり皆様の前でお話しすることはなかったが、中学時代私は卓球部に所属し、それなりに熱心に取り組み、県大会出場などのそれなりの結果も残した。

授業が終わるとすぐ、毎日卓球場に駆け込み、ラリーやサービス練習、フォアハンド、バックハンド、練習試合などを通して仲間達と切磋琢磨して腕を競い合ったものだ。

爽やかで一番センスがあった部長の寺島、卓球雑誌を授業中まで熱心に読んでいた後藤、太っててパワーもあるけど手先の器用な拓真、など。他にも数え切れないぐらいの仲間がいた。

6時に部活が終わった後には、駄菓子屋でよくブタメンというカップラーメンを食べながら、笑いあったものだ。

自分は団体戦の試合で5番を任せられることが多かったのだけど、5番というのは勝敗を決する場面で回ってくることが多く、部員達の大声援が背中を押してくれることが何度もあった。

セット間の顧問の先生のアドバイスも的確で、「ミドルを狙え!」「ショートを狙え!」などのアドバイスはなぜかいつも効果覿面だった。

顧問の的確なアドバイスやその場がホームに感じられるような大声援のおかげで、僕はいくつもの逆転勝ちを収め、チームを勝利へ導けたのだった。