夢・光・音

日々の生活の中で生まれてくる想いや感情を詩や文章などで吐き出そうと思います

御天道様

てくてく歩いていこう

 

あまり焦らずに周りに惑わされずに

 

自分の道を見失わずに

 

てくてく歩いていこう

 

生きていると悲しいことばかりだけれど

 

あまり溜息ばかりつかずに

 

愚痴も言わずにやっていこう

 

それをすると、大切なものも逃げていってしまうから

 

わかってくれない人ばかりでも彼らを嫌わずに

 

どこかで許して

 

淡々と生きていこう

 

それをちゃんとやっている人にはきっと運が巡ってくるから

 

神が微笑んでくれるから

風に吹かれて

とりあえず最近は頭を使い過ぎているので、クールダウンを心懸けたい。自分は結構真面目だから、作業を正確に丁寧に行うだけでなく、周囲への気遣いや盛り上げ役を買って出てしまう。それは神経を使う作業だから、やはり疲れる。ただ(自分が)「いると、締まる」とか「いる日といない日とでは全然違う」と言ってもらえるのもそんなにお世辞ではないと思うし、そこにやり甲斐も感じている。

 

ただ頑張り過ぎは禁物だ。頑張り過ぎず、バランスを取るというありきたりの答えにはなってしまうが、やはりそれに尽きるのかもしれない。

 

風に吹かれている桜が綺麗だ。思い詰めていて、季節も見逃していたことに今気づいた。

自分に正直に

最近はイライラすることが多くて、自分をコントロールすることに困難を感じることも多いが、なんとかやっている。

 

結局自分が突出してきて、ギャップが生まれ、理解されなくなってきた度合いが強まり、悩みは深まった。そして、それは自分が自惚れているわけではなく、恐らく事実だから、悩みは一層深い。今まである程度素直に尊敬している人や先達からはアドバイスを受け取ってきたりしたが、段々それが自分に嘘をついていることになってきてしまっていたので、その人には一言言った。

 

要するに独立してきているのかもしれない。ある程度自分と指しで哲学的論議を正面からやりあえる人は減ってきて、自分自身がいつも遠慮気味になってきている。

 

そして、それは文学でも同じで、自分に正直に、すごくなればなるほど孤立していくというのも本当だと思う。ヘッセの『荒野のおおかみ』とはそういう話だ。純粋に作品の質が高まれば、評価されるとか売れるとかそういう話では全くなく、何かを伝達できたとしてもそれは厳かで、私秘的だ。

 

私の深いところにある真意が「愛」だとしても、それは誤解されがちだ。そして、一番高いところに登りたいというのは自分の正直な衝動だし、それは自分の欲を満たしたいというような単純なエゴからではなく、その上で何かを与えたいからだ。

 

それをわかってくれる女性もいたし、私は今でも彼女達を裏切っていないと思う。

コーヒーを飲みながら

当たり前だけれど、日々イライラすることはある。それはたぶんどうしようもない。ただ前よりは自分はうまく吐き出せたり、コントロールできるようになったと思う。

 

わがままな人が多い職場では、自然と面倒を見れる人に負担が集中する。それは物理的なことというよりは精神的なことの方だ。

 

自分は今までの人生でもいろんな場所で精神面を担当してきたと思う。それは疲れることだけれど、あまりできる人は多くないし、替えは利かないようだ。

 

自分のことだけを考えていれば、疲れない。でも、自分は今さらそういうふうにもなれない。コーヒーを飲みながら、ため息をつきつつ、この人生を受け入れよう。

人生って何を残していけるか、だと思う

季節の変わり目で若干気象病かもしれない。あるいはただコーヒーを飲み過ぎているだけかもしれない。

 

音楽プレーヤーから聴こえてくる陰鬱なメロディーが今の私の心情とマッチしている。

 

人生って美味しいところだけを味わっているだけではダメだ。書いている小説は序盤が終わり、物語が展開し始めたところだ。

 

人間や社会の様々な側面を体験することなくしては語れることなんてなくて、今振り返れば自分はそれなりにいろんな経験をしてきたと思う。

 

経巡るというのは人生のテーマであり、青年期は特にそうだと思う。今私は一周回って、踊り場にいるという感じがする。

 

様々な経験をして、大人になれた部分と過去にはもう戻れないというような寂しさもある。すべての時間がいずれ過去になるというような達観もそこにはある。

 

残るものをつくりたい。時間が経っても振り返られるようなものを。

風を読む

今日は風が強い。身体も少し疲れている。だから、気楽に書こう。

 

今日は驚くほどの強風で、電車も遅れ気味だ。木々は揺れ、街ではビル風が吹き抜ける。一瞬今自分はどこにいるのかわからなくなるような錯覚に襲われて、日々人はどれだけのことに囚われているかを不思議だけれど、痛感させられる。

 

論理や常識を勘案しても、抑えがたい衝動があって、それがエネルギーであり、パワーだ。怒りの一撃や稲妻(フラッシュ)のような激震が時に社会には必要だし、現在(いま)の時代はそれを求めている気がする。

 

本当の意味でのパラダイムシフトが必要だし、それはすでに始まっている気がする。だから、私も本当の意味でのポジティブな変化を促進させるようなものを書いていきたい。要するに、一撃を加えていきたい。

道を求める

今日は小説で深刻なパートを書いたので、気楽に書こう。

 

人間人それぞれでそれはいろんな人と出逢ったり、いろいろな経験をしていなかったら、わからなかったことだ。

 

本を読んだり、部屋に籠もって考えているだけでは思いつかなかったアイデアが外の世界には無数にある。

 

そして、本当にすごい人とは見た目や容姿や肩書きや表面的な能力とかそういう話ではなくもっと深みがあって、醸し出てくるものだ。言わば匂い(色気)のようなものだ。それをオーラと呼ぶのかもしれない。

 

世間体や表面というものにほとんど意味がないということも最近ではわかってきてしまった。そして、人生でやるべきことは求道であるということにも迷いがなくなってきた。だから、あとは、道を求めるだけだ。